Esquire Magazine Japan / 2006年3月号

『Esquire』連載
GO TO MEET THE ARTIST TODAY
アントニー・ゴームリーに会う
「エスクァイア 日本版 デジタル写真賞'05-'06」
グランプリ決定!
デジタル写真、新たなステージへ。
※審査コメントを寄せています。
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● GO TO MEET THE ARTIST TODAY──アントニー・ゴームリーに会う。
「私」は誰なのか。どこからやってきたのか、どこへ行くのかと。
人類が滅び去ったあとの地球を訪ねた異星人たちは、そこで何を発見できるだろう。古代アレクサンドリア図書館をはじめ、いにしえよりの「叡智」は、ことあるごとに簒奪、焼尽され、地上から蒸発してしまった。皮肉にも逆に残るのはモアイ像や、ピラミッドのような石の遺跡、石碑。僕が、アントニー・ゴームリーの作品を前にした時連想してしまうのは、いつもそのことだ。孤独な「人型」。ゴームリーの作品を前に、異星人は何を想像するだろう。
彼の作品は、つねに彼自身の体から型を取ってつくられた等身のものが基本となる。彼曰く、「ポーズ」は基本的には3つ。「立っていて地平線を眺めている、意識している姿。それから、横たわり、意識しないで地平線を見ている。それから、座っているという中間の体勢で、熟考の姿。私は西洋彫刻が試みてきた、動作を作り出すことには全く関心がないんです」。
「彫刻」という印象より、超古代と超未来が同体したような、時空を超えた奇妙な印象。その力はどこからくるのだろう?
僕が「あなたが考古学を学んでいたのは知っています。キリスト教以前の魂のあり方に興味をもったんでしょう?」と誘うと、ゴームリーは堰を切って話し出した。
「強いカソリックの伝統で育ちました。神という単一の権威や、天国と地獄という考え、ヒエラルキーに拒絶反応したのです。私は、感情や魂のあり方の別のトラディションを見つけたかった。70年代初頭2年間、インドに住んだ理由もその一つです」
「瞑想を学んだのですね?」
「そうです。私の作品は、インドに行って学んだ、精神と体についての実践の直接的な結果だと思います。禅に似ていますが、ただ座り、肉体を使うのですが、意識をしない。つまり、何らかの媒介を使わず、“あるがまま”ということにコネクトすること。私はそれを真剣に2年間学んだ。あなたも、そのことなしに私の作品を見れません。永遠に続く魂という概念がもうすでにないのです。私は瞑想を通して、固定化された概念は幻想であり、私たちは、ただ“この瞬間”だけを生きているんだということを知ったのです」
彼にとっての作品は、彼自身のコピーや再現でもポートレイトでもない。「私」自身を「他者」として見る装置なのだ。彼はそれを「幽体離脱をつくるということです」とも説明した。
「肉体は、私たちが一時的に住む場所であり、その肉体を使って時間の中で生きるのです。私は、肉体の空間を、存在していた一つの例として提示します。この空間は、物質化された思考のようなものなんです。つまり、哲学の疑問を考えるためのスペースとして提示しているのです」
ゴームリーは「気」のような東洋的身体の共感者ではあるが、神秘主義者ではない。彼は肉体の空間の探求をやめない。
「私は同時に、統計学のランダムマトリックスやカオス理論、コンピュータの二進法システムによる“マッピング”を使って肉体を出現させたりもします。科学は、“異なる言語”を提供してくれる。私はそれを使い、人間の空間というものを描写する道具として、どのようにトランスフォームできるかを探したいのです。私の作品は一つの提示です。どのようにリアリティというものを読み取るかという提示であり、あなたが関心を向けてくれるようにする、つまり、いっしょに見ましょうよという誘いなのです。私は作品を装置として提示し、見る人はコラボレーター、共作者なのです」
彼の作品を見ているとアートという価値形態の可能性を強く感じさせられる。「売買」される対象であり、哲学的な「問い」であり、つねに流動的で変化してゆく。これはアートだけがもつラディカリズムだ。ゴームリーは「人体彫刻」という、ほとんど「死語」になったもので、アートの最前線を切り拓いてゆく。
彼は、並行して「フィールドプロジェクト」と名づける世界各地で行う「集団制作」も行っている。粘土でつくった埴輪のような土人形を火で焼くというものだ。
「これは集合的な瞑想のエクササイズです。粘土のボールを手のひらで暖める。多くのことを考えないようにしながら、あなたが話すように、サインするように、やり方を見つけるのです。手に持てるサイズ、立っていること、目がつけられている——その3つだけがルールです。作品すべてがあなたを見つめ、何が起こり、進行しているかを告げてくれます。私がこのプロジェクトで行いたいのは、見る人が人生を考えることのできる場所をつくること」
彼は明確だ。そして、その明確さをもって、人間という流動的でうたかたな存在の旅を続けようとする。別れ際、「アートの定義って何でしょう?」と僕は訊いた。彼は忘れがたい答えを残した。
「アートは我々がどのように生きているかを示すもの。体温計が人の温度を示すように、アートは人の精神を指し示す体温計のようなものなのです」
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