March 06, 2004

042:映画『ドッグヴィル』 監督:ラース=フォン・トリアー

 

042:映画『ドッグヴィル』 監督:ラース=フォン・トリアー

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配給:GAGA
2004年正月公開予定
オフィシャルサイト
8.33

TITLE
予言的な悪夢
気分が悪くなる程の大傑作
「悲劇の仕組み」はもうたくさん。
GOOD

アメリカの閉ざされた貧しい村、「ドッグヴィル」に偶然一人の女(ニコール・キッドマン)が迷い込み、その女が引き金となって村が破滅するまでを追ったストーリー。舞台はスタジオの中空に架構され、家や道路が白線で示された一枚の床だけだ。9つに章立てされ、役者の演技に沿って、ナレーションが状況を説明し続けるというスタイルは、映画における「自由間接話法」の新しい可能性を開いている。家などを表す白線は勿論、ドアの開閉の音や、あえてぎこちない動きの役者のほか、強姦シーンでステラン・スカルスゲールドが見せる睾丸さえもが、形式化された一要素として画面に確かなリアリティーを持たせている。「自然な演技」などというイデオロギーを一切排除し、個々のアクションに明確な形態を与え、乱高下する感情の動きを漏らさず描写してみせるこの作品は、強烈な剥き出しのポエジーを見るものに突きつ けずにはおかないだろう。

なんだ、これは!はっきりいって絶句するしかなかった。後から振り返って考えると、ステージに作られたどこだかわからない空間が線で区切られた街が俯瞰で映された時点ですでにラース・フォン・トリアーの罠に完全にかかってしまっていた。登場人物は揃いも揃って異様だけれど、それが変人を演じているからではなくて、こいつら全員人間だからかもしれない、と気づいたときには重りのついたクサリが首に止められていた。こんなラクじゃない作品には、映画の新たな可能性を感じざるをえない。

安いドラマの盲人用二重音声みたいなナレーションはちっとも感情移入させてくれず、「現実の悲劇にだってお前はただの傍観者じゃん」とイヤミを言う為のeasy映画かよ?と疑い始めたラスト、一気に観客席から主人公グレースの身体の中に押し込まれていた!それまでの退屈な道徳がぐにゃりと曲って、一人の女を通過し、改めて世界を彼女の視線で見返させる。最終的にきちんと個人に人生の責任を戻すところは、 さすが!

BAD

一床面の上で全てを物語ろうとするこの方法は、まさに暴力的な形式化であり、実験としては非常に面白く、またこれがラース・フォン・トリアー監督の魅力でもあるのだが、問題点も残した。建物による空間の分割がなされないせいで、キャメラの先にあるものが全て写り込んでしまい、画面が単調になってしまう。また、それを避けるためにクローズ・アップが多用され、その結果、形式の純粋性を損なうジレンマも発生する。一つの理念(透明性)に従って全てを統制しようとすれば、必ず破綻が起こり、すぐさまそれを修正する動きが続く。モダニズムに附随するこうしたアポリアを乗り越え得るような、手法上の一工夫が欲しかった。

ドッグヴィルに放り込まれフラフラになりながらも、タブー、贈与、「汝何を欲するか」、生と死の権力、知の欺瞞、と理論的な背景の面影を感じさせられるし、ナレーションによって登場人物の心理状態の説明がされるのは、教室で実例をもとにしながら授業を受けているような雰囲気を感じさせる。だから、映画としてはあまりに説明的すぎる!なんていって、これは映画じゃない、とはっきり断言してしまうのも一つの手段だろう。こんなに挑発的で刺激的で革命的なものには、触れない方が安全かもしれないのだから。

確かに他に例を見ない程に完璧に距離をもって人間性の「構造」を表現している。その為には役者の演技が説明の域を出ないのも計算通りだろう。でも、この程度の「構造」なら最近のニュースをちょっと丁寧に眺めれば手に入れられるでしょ。エネルギーや運命が発露する瞬間は残酷だからこそ魅力的だけど、その単純さに留まっていては未来のない快楽でしかない。それにやっぱ一度くらいはこの監督の女達に「あら、今日ワタクシ“穴”は持参しておりませんの。」と言わせてみたいものだ。

TOTAL

他者を一度は受け入れながらも、その時々の政治状況に従って世論が紛糾し、やがては受け入れた対象を「悪」として弾圧する。このような映画のストーリーは、トリアーの持つアメリカ観を如実に反映している。更に、映画のラストでマフィアのボスの愛娘と知れた女が、「責任」という言葉のもとに、村人全員を粛清するシーンを「同時多発テロ」と重ねれば、トリアーのアメリカ批判の痛烈さが理解できるだろ う。歓待(受け入れ)は常に無条件なものでなければならず、そこに虚言の構造が入り込んではならない。投機的で常に不安定な人間に比べ、地面に引かれた白線は、一見確かな地盤であるように見える。しかし、実はその線自体が誰かによって引かれたフィクション(舞台装置)にすぎないとしたら?その時、虚言として葬り去られるべき対象こそが国家にほかならない。

一見そうでないように見えながら、実は驚くべき程の冷静な手続きで見ているものの冷静さを失わせることが、ラース・フォン・トリアーの得意技だとはわかっていながら、人間、社会、世界と展開していく中に住まう巨大な未確認物体をこれほどまでにつきとめて、鮮やかに浮き彫りにされると、それを直視せざるを得ない。私たちは恐ろしく不気味な緊張感のうごめく空間の中に引きずり込まれ、そこでは、一つの孤立したあまりにリアルな仮想世界が産み出され、死んでいく。そして、何よりも質が悪いのはドッグヴィルがあまりにも私たちの身近にあるということなのだ。

正直なところ、何度見ても圧倒されると思う。でも、2度は見ないかもしれない。以前なら、残酷や悲しみが襲って来る理由を知りたかった。でも、もう今は、本当に毎日、毎日、十分に悲劇のしくみは解明されている。構造はわかっているのに、相変わらず手も足も出ないでいる。最近のわたしは、世界のしくみよりも、その同じ世界の中で「出来事のその後」を生きることを見つめる、丁寧な視線をもっともっと味わいたい。「それでも生きていこう」ではなくて、「それでも生きていくってどんな事なのか?」

POINTS
8 点
10 点
7 点

REVIEWER PROFILE

■上田和彦

reviewer no. ■■■

アメリカの虚言の論理で始まった戦争は、元大統領逮捕という茶番を演じ、虚飾に満ちた植民地国家を作り出そうとしている。アメリカの政治が、歴史を無視したフィクションの生産を止めぬ限り、テロも内戦も終わることはない。現在率先してアメリカを避難する国がない以上、それは市場でのドル安に証明してもらうほかない。日銀は即刻円売り介入を中止せよ!

■川上洋平

reviewer no. ■■■

前回に続いての10点満点ですが、今回ばかりはしょうがない、勘弁して下さい。素直につけたくはないけれど、どうしたっての10点です。同じ10点でもつけた動機は前回とは全く逆ですね。ちなみに、古本屋ウェブマガジンと称して開店しておりますbookpick orchestraにて、本の仕入れ、本の解説など担当しているので、ぜひ訪れてみて下さい。

■河村美雪

reviewer no. ■■■

Part time artist .企画展が終わって少しボケボケしてました。でも、衝撃やサプライズの先にキラキラ舞う世界を表現したいなーと、新しい作品を練ってる真っ最中!

 

Posted by gotonewdirection at March 6, 2004 01:45 PM
Comments

cum l

Posted by: cum-l at June 2, 2004 05:54 AM
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